樫本芹菜選手は、女子サッカーの強豪校・藤枝順心高校を卒業後、アメリカ、ドイツでプレーし、帰国後は国内トップリーグのなでしこリーグ・仙台でプレー。2020年からは、同1部のスフィーダ世田谷FCでプレーを続けています。競技生活において、「シーズン中は基本的に生理はきません」という樫本選手。一方、2023年秋に膝の前十字靭帯を断裂する大ケガを負ってからは、日々自身の体や感覚と徹底的に向き合い、リハビリを続けてきました。
復帰のための一般的な手段である手術を選択せず、国内外のさまざまケースや研究、論文などにアンテナを広げ、保存療法で復帰を目指しながら発信を続けています。健康面の転機や決断、海外で目の当たりにしたピル事情や、今後の挑戦についてお話を伺いました。(取材:松原渓編集部員)

◆優先度が低かった生理との向き合い方
――樫本選手はこれまで、生理前のPMSやコンディションの変化とどのように向き合ってきたのですか?
シーズン中は、基本的に生理がきません。中学生の頃に初経を迎えた時から生理痛はとても軽くて、生理用品も必要ないぐらいだったので、「ラッキー」という感覚でした。今はシーズンが終わった時や、ケガのリハビリ中でプレー強度が落ちた時には来ることもありますが、それでも、生理期間中は出血や生理痛はほとんどありません。
――20年近くその状況が続いているということですね。レディースクリニックや婦人科を受診したことはありますか?
高校卒業後にアメリカに留学したときに行ったのが最後です。チームから「行きなさい」と言われて行った記憶はありますが、それ以来行ったことがないです。アスリートは自分でコンディションを管理することもそうですが、ある意味では「無理をすること」が仕事でもあります。そう考えると、見えないリスクはあるので、行った方が安心できるとは思うんですけれどね。
――チームメートや、周りの選手と情報交換をしたりすることはありますか?
「子どもを産みたい」という願望がある選手は、積極的にクリニックにかかったりもしていますが、中には「将来的に出産を考えていない」という選手もいて、自分もそのひとりです。ですから、生理が定期的に来ない状況でも優先度は低く、パフォーマンスに大きな影響がない限りは、定期的にクリニックに通うことは考えていません。ただ、今は子宮頸がん検診や乳がん検診などの啓蒙活動も盛んになっているなかで、行った方がいいという風潮はありますし、選手自身が経験談を発信するケースも増えているので、そういう情報は注視するようにしています。
◆ケガと生理の因果関係を実感した瞬間
――無月経が続くとエストロゲンが低くなり、骨量が低下して骨粗鬆症になるリスクなども指摘されますが、その点についてはどう思いますか?
(※無月経と骨粗鬆症の関係について、ドクターの見解はこちら)
知識としては知っていましたが、自分のこととして考えたことがなかったです。小学校5年生の時に一度だけ疲労骨折をしたことがあるのですが、それ以外では骨関係のケガとは無縁だったことも、実感を持てなかった要因だと思います。ただ、一昨年(2023年)の秋に左膝の前十字靭帯を断裂し、リハビリをする中で、体の感覚が繊細に感じ取れるようになってからは、生理に対する考え方に変化がありました。
――どのような変化があったのですか?
生理とストレスが重なった時期に、下腹部に違和感を覚えたんです。内臓の筋肉が、生理現象でギュッと引っ張られるような感覚があり、骨盤がずれて膝もずれていく感じで、「これは危ないな」と。膝のケガは骨盤と足の歪みが重なることでリスクが高まると言われますが、生理の時にこの状態が続くのなら、ケガとの因果関係はあるだろうなと感じました。
――海外では、「月経によるホルモンバランスの変化が、膝の前十字靭帯のケガのリスクを高める」という研究も報告されていますが、それをご自身の感覚として受け止めたのですね。
そうです。サッカー選手のサポートをされている医師で、普段は不妊の女性の骨盤治療をしている方が、以前、こんなことを言っていました。「女子選手は、生理中に体のアライメント(連携・調整)が崩れていてケガをしやすい」と。その感覚は理解できます。
ただ、リハビリの中で徹底的に体の歪みを治そうと思い、筋肉や関節などから感じる「深部感覚」を鍛えてきたので、今は骨盤と膝がずれる感覚があっても自分で調整できるようになりました。ただ、その違和感に気づかない人も多いと思いますし、とても怖いことだと思うので、それを防ぐためにも、アスリート自身がさまざまな知識を持つことは大切だと思います。
◆アメリカで目の当たりにした文化の違い
――樫本選手が、アスリートとしてコンディショニングなどを考えるようになったのは何がきっかけだったのですか?
自分はプレーをする上で予測力を武器にしていたのですが、海外では身体能力の高い選手が多く、予測してもパワーやスピードで負けてしまうようになりました。当時は「とにかく体重を増やさないといけない」と思って筋力トレーニングに励んだのですが、本来、筋トレの考え方やメカニズムを理解せず、がむしゃらにやってもエラーが起きます。10代の若い頃はそれなりの効果が出ていましたが、帰国してからは筋肉系のケガを繰り返すようになり、それがきっかけでしっかりとケアや治療をするようになりました。
――海外のアスリートは積極的に低用量ピルを活用しているというデータもありますが、アメリカで7年間、ドイツでも1年間プレーした中で感じるところはありましたか?
当時から、アメリカのチームメイトはピルを積極的に使っていました。日本とアメリカのピルの普及率の差は、東洋医学と西洋医学の背景の違いも大きいと思います。アメリカは西洋医学の考え方がベースで、小さい頃からプロテインやサプリメントを摂ることに抵抗がありません。また、生理用具として選手たちがナプキンではなく、タンポンを使っているのも印象的でした。
――女性アスリートがピルを服用することについて、樫本選手ご自身はどう思いますか?
アスリートは、試合では確実にパフォーマンスを発揮しなければいけません。ただ、生理前などでコンディションが悪い時もあります。競技でお金をもらっているプロならなおさら、仕事で結果を出すためにパフォーマンスを高めることが求められますし、特にアスリートは体が資本ですから、ピルを活用するのも一つの手段だと思います。ただ、自分は現状、生理によるマイナス面を感じていないので、ピルの必要性を感じていません。服用することで自分がこれまで感知できていなかった問題が改善されたり、パフォーマンス向上につながったりするのであれば、試してみてもいいかな、と思います。まずはピルでコントロールした場合と、しなかった場合の感覚の違いを確かめてみたいです。
◆手術をせず復帰へ。保存療法への挑戦
――前十字靭帯のケガは女性アスリートに多いですが、多くの選手は手術をして、8カ月以上のリハビリを経て復帰を目指します。樫本選手はその手術を行わず、保存療法で復帰を目指してきたんですよね。経緯を教えていただけますか?
「競技復帰のためにはオペ(手術)が確実」と言われますが、手術によって自分の感覚が変わってしまうことは避けたいと思っていました。それで、手術をしない場合のメリットやデメリットをリサーチして保存療法を選び、徹底的に自分の体の歪みを見直すことにしたんです。
海外では手術なしで自然治癒が確認されたという論文が出ているし、北欧のクリニックでは、保存療法で復帰までをサポートする治療のプログラムもあります。そのプログラムを実践している施設にメールをして情報もいただきました。また、イングランドのプレミアリーグのクラブでチームドクターをやっている方のケースレポートも参考にしています。前十字靭帯の完全断裂から手術をせずに実戦に復帰した選手のレポートで、そのドクターにもメールでコンタクトを取って話を聞くことができました。
――素晴らしい探究心ですね。実際に保存療法でリハビリを続けてきた中で、今はどのような状況ですか?
ケガから3カ月目で一回復帰したのですが、昨年の4月にもう一回受傷してしまいました。着地の際に足をついて、方向転換するときに無理やりひねってしまったんです。ただ、リハビリで自分の体の歪みを修正する中で体やケガに関する知識が増えましたし、二度目は客観的な数値も参考にしながら、やはり手術はせずに復帰を目指しています。今は断裂した靭帯はくっつきました。ケガをする前と比べると、体の使い方や自分自身の感情をコントロールできるようになったので、いい変化を感じています。
――体の歪みを治すために、どのようなことに取り組んでいるのですか?
感覚はどこまで行ってもその人の主観にはなってしまうので、客観的な視点から微調整する必要があります。そのために、まずイメージとなる動きを真似しながら、自分の体の感覚をそれにすり合わせていくイメージを大切にしています。また、自分は左右で足のサイズが微妙に違うのですが、体に合わせるために、練習や試合で使うスパイクは左右違うサイズの商品を使っています。
――プレー面での変化はありましたか?
以前は守備のポジションで、攻守の組み立てや相手との駆け引きを考えながらプレーしていましたが、今は得点を狙うポジションで、頭で考えずに直感でプレーしています。心と体と頭の相互関係作用が自分のパフォーマンスに反映されると思うので、日々の生活も、そういう部分を意識しながら過ごしています。
◆サッカーで「自分を表現する」シーズンに
――樫本選手にとって、サッカーはどのような存在ですか?
自己成長や、自分を表現することができるものだと思います。日本代表やドイツ、アメリカなどでさまざまな経験をしてきたからこそ、今の自分にとって一番表現の幅を出せるものです。また、感覚的なものに科学的な根拠を伴わせて探究することができるのも、スポーツの魅力だと思います。プレーに関しては、毎日自分の課題を見つけて反省していますが、一方で「自分ならできる」という自信も心の片隅には常に持っているので、いろんなことに挑戦しながら失敗を重ねて、自分自身を確立していきたいと思っています。
――3月15日になでしこリーグが開幕します。今季の目標を教えてください。
去年はケガのリハビリに専念していたので、試合にほとんど出られず、自分なりに社会貢献の方法などを模索してきました。ただ、いろいろな方から「来年は楽しみにしているね」と声をかけられ、たくさんのメッセージもいただいたので、今年は自分自身の体でしっかり表現したいと思っています。チームとしてはいろいろな選手が点を取り、毎回違う選手がヒロインになるような形でリーグ優勝することが目標です。また、トーナメントの皇后杯では、プロのWEリーグのチームを破って日本一になりたいです。そのためにも、焦らず復帰を目指したいと思います。
【Profile】樫本芹菜
1993年1月9日、広島県出身。高校時代に女子サッカーの強豪校・藤枝順心高校に進み、2010年のU-17女子ワールドカップに出場、準優勝に貢献した。卒業後に渡米し、アメリカの大学からセミプロリーグを経験、ドイツ1部でもプレー。2018年に帰国後はマイナビベガルタ仙台レディースを経て、2020年よりなでしこリーグ1部のスフィーダ世田谷FCに所属している。2023年9月、トレーニング中に左膝前十字靭帯断裂、左膝内側側副靭帯損傷の診断を受けた。手術を避け、保存療法によるリハビリを経て完全復帰を目指している。
取材後記(松原 渓)
アスリートの中には、樫本選手のように、無月経や生理の周期が不安定な状態が続いているケースもあると聞きます。不安や悩みを抱えて「女性アスリート外来」などに相談する方もいますが、一方で、競技生活においては「PMSや生理痛がない方が楽」=「生理が来ない方が楽」という状況から、そのままになってしまうこともあるようです。その事実からも、生理痛やPMSがパフォーマンスに与える影響の大きさを感じます。
無月経の状況は不妊症や骨粗鬆症などの目に見えにくいリスクもあるため、予備知識をもっと社会で共有していくことも大切だと感じました。
月経とケガとの因果関係や、アメリカの普及率のお話は新鮮でした。膝のケガを通じて、スポーツ医学や心理学など、各専門分野にアプローチする情熱と探究心が人一倍強く、それを豊かな表現力で発信し続ける樫本選手のエネルギーにも感銘を受けました。完全復帰を期待しつつ、今後の発信も楽しみにしています!
【ドクターの見解】
無月経は、骨粗鬆症やケガのリスクにつながります。その理由について「エストロゲン(女性ホルモン)が低下することで骨が弱くなるから」とお考えの方が多いようですが、それは違います。実は「エネルギー不足(※1)」によるところが大きいのです。
(※1)エネルギー不足…摂取カロリーが消費カロリーより少ない状態。激しいトレーニングをしているアスリートや、過激なダイエットをしている女性に多いと思われがちですが、トレーニングで付けた筋肉量に糖質摂取量が比例していないと、この状態に陥ります。特別な状態で起こるものではなく、トレーニングで筋肉が増えた際に糖質摂取量を増やさないと、誰にも起こり得ます。
増えた筋肉量に対して相対的にエネルギーが不足すると、月経周期が延びていき、やがて無月経になります。同時に、ケガなどで損傷した組織をうまく修復できなくなってしまいます。これが積み重なると、疲労骨折や靭帯・腱などの損傷を引き起こすのです。
実際に疲労骨折した女性を調べると、無月経の方が多くいらっしゃいました。しかしその中に、エストロゲン値が低い方はほとんどいませんでした(エストロゲンの低下で骨が折れるのは、主に高齢女性です)。
これらの理由から、樫本選手の靭帯損傷は「エネルギー不足」が原因だった可能性が考えられます。
この場合、低用量ピルなどでエストロゲンを補充しても、ケガの予防にはなりません。一方で、無月経でもある程度の体重があれば、自重で骨などに負荷をかけて強度を高めることができます。ご自身の運動量を鑑みて、適切なエネルギー摂取を心がけることが大切です。
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